盲ろう者で東大教授となった福島智氏という存在

「そういえば、目と耳って、2つずつあるんだった・・・」

福島氏の生い立ちをたどっていて・・・そんなことをふと思いました。

右目を3歳、左目を9歳で失明し、18歳で聴力も失ってしまう・・・

普段、自分の目と耳がいくつあるかなんて、そんなこと気にも留めていませんでしたが、とたんに一つ欠けてもいけない、替え難いものだということに気づかされました。

徐々に視力がうすれていく、音がだんだんと小さくなっていく・・・

感覚がうすれていく・・・そのときの心境は、一体どんなものだったのでしょう。

健常者がいくら理解しようとしても・・・どうしたって本当のところは分からないだろうと言われてしまうかもしれません。

でも、そのときの気持ちを想像しないわけにはいかない気がするのです。

それは健常者の衝動と言えるかもしれません。

そしてそれによって、あらためて気づかされることがあった・・・それだけで、意味のあることのように思います。

今このとき、福島氏のことを知ることができて、本当に良かったと思います。

穿った見方かも知れませんが、福島氏のような障害者の方は、「知るということの大きさを、誰かに気づかせる存在」なのかもしれません。

盲ろう者で東大教授

恥ずかしながら、福島氏のことを知って、初めて「盲ろう者」という言葉を知りました。

「盲ろう者」とは、目が見えず耳が聞こえないという状態の方のことです。

そんな方がいるということに、私は今まで考えが及びませんでした。

そういえば、ダウン症のことをこんなにも知るようになったのも、息子が生まれてきたからです。

必要不可欠になったからとはいえ、そこから、「障害」ということを毎日のように考えるようになりました。

今ではこんなに身近なものになったわけですが・・・

興味がないことや知らないことに出会う機会って、本当に貴重だなぁと、あらためて思います。

さて、福島氏の本のタイトルには、「盲ろうという二重の障害」と「東大教授」という、2つの言葉が並立して、これから読もうという人を引き寄せています。

ギャップとインパクト、編集者の意図が感じられますね。

でも、そもそも、両者にギャップを感じること自体、失礼なことだと、またあらためて気づかされます。

世の中の評価では、盲ろう者は重篤な障害を持っている弱者で、一方の東大教授は権威のある強者だからです。

両者には、相反する固定されたイメージが歴然とあります。

盲ろう者からみたら失礼な話ですよね。

でも、その一方で、智さんのお母さんは、どう思ったかなぁ〜とも思います。

そこは素直に嬉しかったのではないかと・・・障害者の親としては、立派に生きてくれていると、純粋に喜んだんじゃないかなとも思うんです。

福島氏は、なぜこんなに力強く生きられるのか?

まわりの方との関わりが大きかったでしょうが、その根底には、オーストリアの精神医学者であり、ナチス強制収容所に収監されていたというヴィクトール・E・フランクルの、この公式のような確固たる心境が育まれたからではないでしょうか。

「絶望=苦悩 − 意味」

息子が生まれてきた意味

「障害者の生きる意味」

ともすると、重いテーマですけれど、私は、息子が生まれた日から、この「息子が生まれて来たことの意味」をずっと探し続けているように思います。

一日たりとも頭を離れないというか、ふとしたときに、つい考えてしまうことなんです。

息子は15歳ですから・・・もう15年間も「息子の生まれた意味」を、折にふれては考える、ということをしています。

それで・・・

15年間考え続けて、答えが出ていないかというと・・・

白状すると実はそうではなくて、その答えは最初から出ていたとも思っています。

うすうす気づいてはいるんだけれど、そうだと言い切ることに無意識に抵抗があったというか・・・ずっと、曖昧なままにしていました。

なぜ抵抗があったのか・・・

今だから、自分でも分析できて分かるようになりましたが・・・

それは、私にとって、「答えを出さないこと」「反芻するように答えを考え続けること」に意味があったからなんです。(白黒つけちゃうとそこで終わっちゃいますからね。)

ある意味、その煮え切らなさに意味を見出していた・・・なんてね、

屁理屈みたいに思えるかもしれませんが、そんな気がしています。

(もやもやが残るでしょうが、意味ってそういうものなんですよね。)

それから、さらに矛盾したことを言うと、「障害者の生きる意味」を考えること自体を嫌悪していたんです。

自動的、強制的に考えないわけにはいかなかったのに!・・・

・・・なんていうか、自分で思う以上にいろんな感情が入り混じっていたことに気づきませんでした。

で、今やっとここに、福島氏が助け舟を出してくれたというか・・・

私の中でひとまず区切りができた「障害者の生きる意味」を記したいと思います。

誰かこの解答に「正解!」と言って「マル」をつけて欲しいです。笑

意味があること

さて、なんとか言葉にしてみようという気分になったのは・・・

福島氏の著作に登場するヴィクトール・E・フランクルの公式のおかげです。

同じようなことを思っていた、しかも精神医学者の人が思っていたというのは心強かったのです。

ヴィクトール・E・フランクル=オーストリアの精神医学者。
ナチス強制収容所での体験を綴った著作『夜と霧』は特に有名で、60年以上にわたって読み継がれている。「生の意味」を自ら見出すことで心の病を癒す心理療法(ロゴセラピー)を提唱した。


「絶望=苦悩意味」

これは「障害者の生きる意味」が表れている公式と考えられなくもないですよね。

絶望とは異なり、苦悩には意味がある・・・と。

さらに移項してみると、

「意味=苦悩絶望」、絶望の反対は希望なので、(− 絶望)=希望だと福島氏は言います。

つまり、意味=苦悩 + 希望、苦悩の中に希望を見出すと、そこに人生の意味ができてくるということですね。

福島氏は、この公式を知った瞬間、点字を読む両手の人指し指の動きが一瞬止まったといいます。

盲ろうになった18歳のとき、「なぜ、私にこんなことが起きたのか」と苦悩していたときのことが、このフランクルの公式とリンクしたというのです。

当時、福島氏が自問の末に出した答えは・・・

「理由はわからないけれど、この苦悩には意味があるんだ」
「自分がなぜ生きているのかわからないけれど、自分を生かしている何者かがいるとすれば、その何ものかが私にこの苦悩を与えているのだろう。ならば、私に与えられている苦悩には何ものかの意図・意志が働いているはずだ」

でした。

その後、何十年も経って、当時の自分の状況を振り返りながら論文を執筆しているときに、フランクルに出会い、改めて、苦悩というものの意味が整理できたというのです。

私も福島氏越しにフランクルに出会って、15年のモヤモヤが晴れた気がしました。

「障害者の存在意義」「障害者の生きる意味」を語っても良いと裏付けをもらえた気分です。

福島氏が、自分の「生きる意味」を考えずにはいられなかったと同じように、私も、いつも心の片隅に息子のことがあって、彼の生まれた意味を考えずにはいられなかったのです。

今回、福島氏の存在を知り、障害者側の福島氏からの声が聞けて、日頃私が思っていたことに確信をもらえたように思います。

障害者は、普段、私たち見落としていることを気づかせてくれる存在なのだということ・・・

『「いる」というだけで、それでいい』という価値存在であるということ・・・


このことを、たったこれだけのことを言葉にするだけなのに・・・何年かかってたんでしょう。

ありったけの勇気を振り絞って、やっと言えたように思います。

しさくはきみのためにある

私は、福島氏を通じて、「障害者の生きる意味」という、生涯つきあうのかなぁと思っていたテーマに、ある程度の収束点が見つかって、ホッとさせてもらいましたが・・・

一方で、やっぱり、当事者の方の心境は、計り知れないものがあるんだろうなぁと思います。
想像しかできませんが、福島氏の著作をナビにして、そこはあえて想像してみたいと思います。

(以下は真っ暗な部屋で一人体感していたときの私の思索です。)

たとえば、静かな夜のしじまに一人目を閉じて、圧倒的な暗闇に身をおいて・・・。
右左前後、空間を把握する情報はむしろ重力だけなのに、ゼログラビティ、無重力空間に放り出された感覚になります。
そして、自分の思いや考えだけがこだまする、世界にたった一人だけ・・・

ここは、真空なんでしょうか。

福島氏が無重力状態と表現している状態は、こんな感覚なんでしょうか?

宇宙を身近に感じるというのも分かるような気がします。

(曲解するしかないので、あらかじめ謝っておきます。違っていたらすみません!)

無重力空間で何十年も瞑想している・・・ような状態でしょうか?

それがしかも、選択の余地のない境遇として迫ってくる・・・

「思索は君のためにある」

福島氏が盲ろうの状態になって、はじめて高校に戻ったときに、友達に言われた言葉が、さっきまで、真っ暗な場所にいた私の胸にも響いてきます。

もはや小耳に挟むというような聴き方はできない状態で、盲ろう者にとっての言葉は、宇宙飛行士とスペースシップをつなぐ命綱のようなものでしょうか?

何気に聞くとか、傍観するということが、一切できなくなって・・・常に主体的にならないとコミュニケーションできない状態は、どんな感じなのでしょう?

文字通り、言葉で「人と繋がること」が生きることになるという・・・そんな体験を日常的にされているのでしょうか。

「生きるって人と人が繋がること」・・・

障害者にとっても、健常者にとっても・・・、この福島氏の言葉は、まさにその通り、本質を表した究極の言葉だと思います。

「言葉」が、強い実感をともなって、重い粒子になって、ひしひしと伝わってきました。

障害学という試み

今回、さらに馴染みのない、「障害学」という分野があることもわかりました。

「障害学」は、次のように定義されています。

障害・障害者を社会、文化の視点から考え直し、従来の『障害者すなわち医療、リハビリテーション、社会福祉、特殊教育の対象』といった『枠』から障害、障害者を解放する試み

従来は健常者である専門家から見た障害者研究でした。

障害者はされる側、対象者だったのです。

それをこれからは、障害者自身からの声をもとに、新たな障害研究として再構築しようというものです。

「障害をもって生きる経験や視点」が生かされていく分野です。

まさに、福島氏のような障害者の存在、肉声がグローズアップされていくでしょう。

ここにさらに、障害者のためだけではない、「健常者にとっての障害学」という意味も加えられたら・・・と思うのは、私だけではないと思います。

そして、その手がかりになるのは、ヴィクトール・E・フランクルが言う「生きる意味を問い直す」ことのなのかなとも思うのです。

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