日々思うこと

見守りGPSの本領発揮!付けてて良かった!

あと2日。9年間通っていた学童保育所とも、もうあと2日でお別れです。

思えば、小学校1年から中学3年まで、ずっと成長を見守ってくれていた学童は、私と息子の避難所のような場所で、本当にお世話になったなぁ・・・

感謝深さもひとしおなんです。

息子にとっては自分の家も同然、第二の家で、中学校の卒業よりも、実はこちらの卒所の方が淋しいものがあるんじゃないかなぁ・・・

今まで、毎日毎日、当たり前のように通っていた学童に、4月1日を境にキッパリと通えなくなるなんて・・・彼にとっては青天の霹靂のような話だと思うんです。

この状況を、学童が大好きな息子はどう思うんだろうか・・・彼はこの事態をすんなりと受け入れてくれるでしょうか・・・母は密かにとっても心配しているのですが・・・。

そんな最中のこと・・・それは、思いがけず起こりました。

母のちっちゃな心配は、軽く吹き飛んでしまいました。

事件は、ある日突然、前触れもなく起こるんですね〜。

見守りGPSは、なにはなくても常備しよう!

学童にはなんとか一人で通えるようになったので、一人での通所は、もう慣れたものになっていました。

このごろは、見送られるのも嫌がり、一人で準備もして、なんでも一人でできる気持ちでいるようで、本当に怖いもの知らずで・・・。

放っておくと「いってきます!」も言わないので、玄関の扉が開く音で、出かけたかどうかを察知して、あとは目的地に着くまで、GPSをたよりに現在位置を確認しながら家事をする・・そんな朝のルーティンになっていました。

事件の朝も、いつものように、GPSアプリで息子の移動履歴を見ながら、洗濯物を干していたんです。

GPSが誤作動しているの?今どこにいるの!?

その朝は、学童ではなく、学童からほど近いデイサービスに行く予定でした。

そこにも何度か一人で行っているので、たぶん大丈夫だろうと、使っているGPSBoTも、バッテリー優先の最短3分間隔モードで、だいたい30分後にはデイサービスに着くだろう・・・と信じていたんです。

コロナウィルス騒ぎで、学校が休校になった3月始めから、毎日のように一人で通っていたので、母の方でも慣れてきて、見守りがおざなりになっていました。

洗濯物を干しながら、ふと、プッシュ通知があったので、アプリをみると・・・

「えっ?!どこにいるのーーーーー?」

ひゃーーー、血の気が引くとは、このことで・・・

アプリの地図に示された場所は、デイサービスとはまったくの反対方向で、大きく外れた場所を位置していました。

にわかには信じられず・・・呆然・・・GPSBoTの誤作動じゃないかと、最初は疑ってしまいました。(GPSBoTさん、ごめんなさい!)

不測の事態が起こったとき、やっぱり、にわかには信じられないものなんですよね。

デイサービスに電話するも、やっぱり着いておらず・・・GPSは誤作動なんかじゃありませんでした。

さあ、もう、ここからはGPSが頼みの綱です!

アプリを見ていると、どうやら学校方面へ向かっているようなので、なんとか追いつこうと、GPSを頼りに車で追いかけました。

しかし、思いのほか移動が早くて・・・バスを乗り継いだのか、あれよあれよという間に、一駅、二駅先までGPSの表示が進み、あーもう一体、どこまで遠くに行ってしまうんだろうか・・・本当に焦りました。

もう、そのときには、私一人の手には負えないような状況になっていました。

仕方なく交番へ、110番しました!

もう、本当にどうしようもないので、学校に電話して相談しました。

私にとっては初めてですが、先生はやっぱり慣れたものです。場数が違いますよね。

「迷わず、交番に行くか、110番してください!」といわれました!

車で出たことを悔やみましたが、仕方ありません。最寄りのパーキングに駐車して、勇気を出して110番かけようか・・・としたそのとき・・・

あれ?戻って来ている・・・

二駅先まで行っていた表示が学校の最寄り駅まで戻って来ていました。

電車に乗って戻って来たんでしょうか?

もう、なにがなんだか・・・わけがわかりませんが、遠くには行かずに戻って来たことにホッとしました。

もしかしたら、なんとか駅で捕まえることがことができるかもしれない・・・

一縷の願いを胸に、私も電車で戻りましたが、駅に着いた時には、遅かった・・・もう彼のGPS表示は駅から離れていました。

どうやら、駅前のロータリーからバスに乗った模様で・・・

あぁ〜・・・

GPSで、それこそ手に取るように、だいたいの居場所がわかるのですが、たどり着けないんです。場所がわかる分、なんとも歯がゆい・・・

私が着いた頃には、彼は他の場所に移動しているというイタチごっこで、もう仕方ないので、駅前の交番に飛び込みました。

この期に及んでなんですが、警察のお世話になるのは勇気がいるものでした。

しかし背に腹は変えられません、それに、たぶん、これからも似たような状況になって、またお世話になることがあるかもしれません。

あって欲しくないことですが、こういうときは、怖れず110番していいんだと、今思うと、良い経験ができたと思います。

交番で事情を説明すると、そこから110番をかけるんですね。

交番の電話から110番し、その日着ていた服装と身体的特徴と、いつどこでいなくなったかなど、基本的な情報を聞かれました。

結構、手続きがあるんですよね。そりゃそうですよね。

でも、そのときの私はいてもたってもいられませんから、そのやりとりが、ずいぶん長いものに感じてしまいました。

今、GPSで表示しているこの場所に、今すぐに駆けつけて保護してほしい!とそう思ってしまいました。

意外に行動派だった息子

交番で110番をかけているうちに、学校から電話がかかってきました。

なんと、バスの営業所で保護されているとのことでした。

・・・はぁ〜、ひとまずは見つかって、本当によかった・・・安堵しました。

バスで移動していたことを考慮して、先生が、バスの営業所に連絡をとってくれていたんです。

また、GPSの位置情報を先生と共有していたので、学校の最寄り駅付近まで探してくれていたそうです。

当の本人が、何を思って行動していたのか、本人に聞いても理由を説明できないので、真相はまったく謎なんですが、この行動から察すると、もしかしたら、元の場所に戻ろうとしていたのかもしれません。

そして、最後に、帰れると思って乗ったバスが、いつもと違う道を走っていると、あるとき気づいたんでしょうか・・・、途中で降りたようなんです。

目的の行き先には行かないバスだと気づいて、途中で降りたのは、すごいんですけど、降りてからももっと移動していたら・・・もっと迷っていたかと思うと・・・背筋が寒くなります。

降りた場所が、たまたまバスの営業所の近くだったのか、営業所には以前来たことがあったので、見たことがあると直感的に降りたのか、最終的には、なんとか馴染みのあるバスの営業所に助けを求めた・・・ということなんでしょうか?

大型バスが収容されている駐車場をウロウロしていたところを、バスの運転手さんに保護されたようです。

そこに、たまたま学校から連絡が来ていて、身体的な特徴が似ていたので、バスの営業所から学校に連絡があったという・・・そんな綱渡り的なことでした。

う〜ん、偶然が重なって、うまいこと見つかったということなんでしょうか・・・

今思うと・・・ということなんですが、今書きながら、彼の行動を思い返してみると、行き当たりばったりではあるのですが、結構、意図的に行動しているような・・・そんなふうにも思えてきました。

GPSと警察と学校と、すべてが連動して・・・

そんなこんなで・・・今回は、息子が家を出てから、約二時間の冒険で、なんとか決着がつきました。早く見つかって本当によかったと胸を撫で下ろしました。

なにごとも初めてのことは、焦りますね。

GPS表示が予定どうりの履歴を辿ってないとわかったときは、本当に血の気が引くんですよね・・・

でも、こういうときこそ慌てずに、関係各所へ連絡して、助けを求めることが重要だということも、身にしみて勉強になりました。

息子が意外に行動派だということも、今回、改めて認識しました。

思えば、前日に学校の友達からプレゼントをもらって、そのお返しをコソコソ準備していたんです。それを渡そうと学校にいったのかもしれません。

でも学校は休みで、門は閉まっているし・・・

そこからリカバリーできずに二駅もバスを乗り継いて、一体どこまで行くんだーと、母は焦りましたが、でも、運よく学校までは戻ってくることができて・・・彼は彼なりに紆余曲折?していたのかもしれません。

・・・その間、母はGPSと色々な人に手助けされながら、捜索していたのですが・・・

付けててよかった!GPS!

なんといっても、GPSが付いていたという安心感は半端なかったです。

GPSが付いていなかったら・・・考えただけでも恐ろしいですね。

GPSで「ここにいる」とだいたいの位置がわかっていたので、バス会社にも連絡してもらえたし、迅速に対処できたのだと思います。

GPSBoT、ありがとう!ホントつけてて良かった!



この手の、ほぼ見守り機能だけのGPSは、私がGPSBoTを購入したあとから、いくつかの会社から、類似機種が発売されています。

本体にボタンが付いていて、押すと見守っている親に連絡がくるような、防犯的な機能が付いているものも出ていますね。

うちの息子だと、なんでもないときに押してしまいそうだし、なんのために押すのかも分からないと思うので、宝の持ちぐされなんですが・・・

このタイプだと、防犯ブザーのようにランドセルにぶら下げるということになりそうですね。

ご家庭の目的にあったものを選べるようになってきたのかな〜と思います。
以下にURLを載せておきます。

GPSBoT https://www.bsize.com/
FamilyDot https://family-dot.com/
キンセイGPS端末 https://www.kinsei.io/
soranome https://soranome.net/


うちで使っているGPSBoTのレビュー
↓↓↓
https://ichinyoru.net/gps-bot-review/

トランスジェンダーの人に会って無遠慮な視線の意味がわかった

憶測の域を出ませんが、トランスジェンダーなのかな?という人に会いました。

・・・といっても、積極的にそれについて話をしたのではありません。

その方は、車内販売の販売員の方で、私は車内でその人からコーヒーを買ったのでした。

全体的に大柄な女性の方とも捉えられる、でも、もしかしたら、生まれたときは男性で、自らの意思で女性になられたのではないか・・・そんなふうに思えて・・・

私の妄想だったのかもしれない・・・と思いつつ・・・

でも、仮に彼女がトランスジェンダーだとしたら・・・

私はその妄想を糧にして、いろいろ思いが巡るのを止められませんでした。

トランスジェンダーって、一体どんな感覚なんだろう?

たぶん、多くの人は、自分の性別を疑うなんてこと、そもそもしませんよね。

女性で生まれた人は、そのまま女性として生きていきます。

私もそうです。XX遺伝子になんの疑問も持たずに生きてきました。

自分の性別に違和感がある?・・・その感覚って、どんなものなんでしょうか?

自分の気持ちや考えが、自分の身体を作っている遺伝子とは、くい違っていた・・・、なにか違う、こころもとない感覚、日々の何気ない場面で、違うという思いが沸き上がってきてしまう・・・

自分ではどうすることもできないモヤモヤ、それは自分でもどうしようもなく、違うと思う自分を認めざるを得ない・・・そうしないと自分を否定することになるから・・・ぐるぐると葛藤が渦巻いているような気がします。

そして、子どもは親の望むようになりたいものですから、その差異を埋めるために、きっと、ものすごくガンバるんだろうな・・・、考えただけでも切なくなりますね。

彼ら、彼女たちは、違和感の元はなんなのだろうかと、自分に疑問を投げかけることで、否応がなく身体の感覚が研ぎ澄まされていくように思います。

とことん自分と向き合うことを余儀なくされ、反芻にも似た「省みる」というクセができて、それを方法にして、結果的に、穿った見方かもしれませんけれど、人類の永遠の命題に取り組まざるおえなくなっているんじゃないでしょうか。

丁寧に自分の感覚を客観視するのは、ある種、領域は違うかも知れないけれど、アスペルガーの当事者のやり方にも似ている気がします。

アスペルガー当事者の綾屋氏が、著作の中で、悩みながら詳細に自己分析していたことを、ふと思い出しました。

似ていないと思われるかも知れないけれど、両者どちらも、痛々しいまでに正直で・・・、そして、ものすごく頑張って、生きている人たちなんだろうなぁ、つくづく、そう思うんですよね。

トランスジェンダーの人をめぐる家族の物語

最近見たドキュメンタリーでは、女性で生まれて(今では)男性のトランスジェンダーの方が、パートナーとの間に子どもを授かるというものでした。

ゲイの友人から精子提供をしてもらって・・・、2人の父親(精子提供した実父とトランスジェンダーの養父)と母親(パートナー)という3人のユニットによる子育てを、試行錯誤している様子が描かれていました。

トランスジェンダーの彼は、ヒゲをたくわえ、見た目にも明らかに男性でした。学生時代の女子高生姿の写真は別人のようでした。

男性として、すっかり、家族にも社会的にも受け入れられ、女性のパートナーがいて・・・、こんなふうに、今の自分のように生きていられるなんて、まったく想像できなかったと言います。

思いもよらなかった幸せ、小さな子どもを抱いている自分・・・

これが50年前だったらどうでしょう・・・

だんだんと、社会的認知もすすんできて、LGBTの人がカミングアウトしたとしても、社会として受け入れられるだけの懐ができてきているようにも思います。

映像の中で、何より印象的だったのは、理解するのに時間がかかった、それぞれのご両親が、小さな命の誕生を心から喜んでいるということでした。

そこにあるのは、小さな命の圧倒的な存在感で、生まれた赤ちゃんは、生まれたというだけで、傷ついた家族を癒しているという・・・そのことは真実なんですよね。

それで、そこにあるのは、とっても個人的な問題ですが、同時に、社会的な問題としても共有されるようなもので、LGBTではない人たちにとっても、ある種、そこには、同じテーマを見るというか、人間としての共通テーマを見出すことができるんだと思うんです。

LGBTs、今ではSOGI?

LGBTは、レズビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシャル(B)、トランスジェンダー(T)の頭文字をとって、セクシャル・マイノリティの人を表す言葉です。

当事者が、社会に向けて自分たちを語るときに、“連帯”を表す言葉として使われてきたという経緯があるそうですが、このごろでは、この4つだけでは収まりきらないということで、複数形の「s」をつけるようになってきているようです。

「LGBTs」複数形の「s」には、あらゆるセクシャル・マイノリティが含まれることを表しています。

そして、新たに、SOGI(ソジ)なる言葉も出てきて・・・、

SOは、Sexual Orientation(性的指向・好きになる相手の性)、GIはGender Identity(性自認・自分の性をどう認識するか)という意味のようですね。

「LGBT」や「LGBTs」という言葉は、セクシャル・マイノリティを一つのカテゴリとして捉えることになってしまうため、どうしても、その人が「特別」、「特異な存在」というふうに概念化してしまうことがありました。

これに対して「SOGI」という言葉を使うことで、すべての人に当てはまることになって、性的なあり方の問題を、みんな同じように「自分の問題」として捉えることができるという側面が生まれたんです。

さしずめ、障害者でも、自閉スペクトラム(S)、ダウン症(D)、アスペルガー(A)、聴覚障害・視覚障害(E)、肢体不自由(F)、精神障害(S)と、それぞれの障害によって様々に分類することができますが・・・、同じようにすべての人に当てはまるという考え方をするならば、どう表せるでしょうか?

社会やコミュニティは、障害者をどう捉えるか、人類は遺伝子をどう捉えるか、人間の脳をどう捉えるか、などということになるでしょうか?

LGBTs、障害者を見る容赦のない誰か目線

私が車内販売で出会った、トランスジェンダーの方は、男性に生まれて、でも自分は女性と思っている・・・彼女でした。

一見すると、女装されている男性の容姿をされていました。

ワゴンを押して車内販売にきた彼女を見て、居合わせた乗客は、ほぼ全員が異質に思ったのでしょう。まじまじと見たり、あらかさまに嘲笑するような視線を投げたり、笑いの混じったヒソヒソ話が始まったり・・・

彼女は、そんなことには、もう慣れっこになっているのかもしれない、でも、少しも傷つかないかといったら、それはどうなんでしょう・・・

このぶしつけな視線には、よく、うちの息子も晒されるんです。

異質なもの、異形なものを見分けるセンサーは本当によく働く。

ダウン症は、一目で障害者とわかる風貌だから、それで助かることもあるのですが、反面、同じ分だけ、異形ものを見分ける無意識の差別の視線に刺されることもよくあることなんです。

それがわかるから、息子以上に、トランスジェンダーの彼女は、開きなおるにしても、並大抵なことではないぐらいの、辛いことがたくさんあっただろうなぁと、つい、想像してしまうのでした。

生まれてきた意味を知る

障害者の息子も、トランスジェンダーの方と同様、今までの人類が築いていた固定概念や、多数派のカテゴリからは外れています。

障害者と同じように語るのを、LGBTsの方々は嫌がるかも知れませんが、社会の中では、同じように、「同質でないもの」と、カテゴライズされています。

社会的にはマイノリティというわけで・・・

でも、マイノリティには、マイノリティとしても役割があるんじゃないのかなと思うんですよね。

障害者やLGBTsの人たちが、多数派になってしまっては人類は成り立たないし、かといって、すべてが均一な多数派ばかりでも変化していかないというか・・・

障害者やLGBTsの人たちに対する、2020年のこの状況は、たとえば50年前とは比べようもないぐらいに、進歩していると思うんです。

その進歩を促したのは、他ならないマイノリティの人たちです。

まだまだ、婚姻に関する法律的な整備など、行き届かないところはあるにしても、地球規模で、社会的なマイノリティに対する理解の間口は広がっているといえます。

逆説的ですけど、社会的なマイノリティは、社会というものの中にいて、もっとも真価を発揮するというか、その存在が社会の成熟を、あるいは進化をすすめる役割を果たしているんじゃないかなと思うんです。

福島氏がインスパイアされた、ピーター・フランクルが提唱する「態度価値」という概念は、人類を一つの大きな有機体、生命とするならば、なんだか、ある種、遺伝子のような概念だとも思えて・・・。

そういう遺伝子の働きを、うちの息子も、福島氏も、トランスジェンダーで生まれた人たちも、みんな担っているんだと、ふと、そのことを思いついて、この先、50年経ったら、どんなふうになっているだろうか、2070年、もう私はいないはずですが、どこかで眺めることができたら、へー、こんなに変わったのかと、感慨深く思っているはずだと思います。

特別支援学校の生徒が、一人で通学できるようになるには・・・

本当に早いもので・・・4月から息子も高校生です。

今まで、登下校は、スクールバスが頼みの綱でしたが、高等部になると、この通い慣れたスクールバスには乗れなくなります。

基本的には、「一人では通うことができない」「家族も送迎できない」という特別な理由がない限り、一人通学へ移行するよう奨励されます。

将来的な自立を促すためにも、そういう方針なんです。

これは、多くの特別支援学校が行なっていることで、うちの息子の学校の場合も例外ではありません。

・・・ということで、ようやく、やっと重い腰をあげて、母と息子は、一人通学の練習を始めました!

もう中学3年の3学期ですよ〜。もう本当にあとが無いんですよ〜。

母の怠慢で、ホント申し訳ない。こんなギリギリで・・・ごめんよ、息子・・・

・・・で、現在、かなりせっぱ詰まった状況に陥っています。汗

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